創ることから、
未来を描く。
インテリアデザイナー 中原 優介
デザインと経営の両立。
取材・構成 : SAKU編集部
編集前記
中原さんは、施工を知るデザイナー・クリエイターであり、人や仕事の組み合わせまで設計する経営者である。
かつて、自動車整備を学び、デザインを学び、施工会社で現場を経験し、二十四歳という若さで独立。その後、店舗や住宅の空間デザインへと領域を広げ、現在は福岡と東京を拠点に十数人のスタッフを率いる。施工管理者、デザイナー、ディレクター、経営者。そして二児の父。いくつもの顔を持ちながら、その根底にあるのは「自分で考え、自分で未来をつくる」という姿勢だ。今回は、そのマルチな顔の一つひとつをたどってみた。
第一章 原点は、
知らず知らず、父の背中を。
北九州市八幡東区で生まれ、妹とともに育った中原さん。父親がインテリアや空間づくりに携わっていたため、幼い頃からデザインや建築の仕事は身近にあった。ただ、当時から「父と同じ仕事をする」と決めていたわけではない。水泳を続け、中学・高校ではバレーボールに打ち込んだ。チームの中で自分の役割を考えながらプレーする経験は、今の仕事にもどこか重なる。デザインも一人で完結するものではない。人それぞれの力を見極め、組み合わせて一つの形にする。その感覚は、知らず知らず、育まれていたのかもしれない。
第二章 現場を知る。
壁の裏側からデザイン。
高校卒業後、最初に選んだのは自動車整備の専門学校だった。しかし求人票を見ながら将来を考えるうちに、「自分がやりたいこととは少し違う」と感じるようになる。そこで改めて父の仕事を意識し、デザイン専門学校へ、更に卒業後に選んだのが施工会社。現場に入った。壁紙や家具の表面だけではなく、壁の中に何があり、どのような工程で空間がつくられているのか。約三年半、施工現場を経験、「独立することを意識して働いていた」と中原さんは振り返る、「なんとなく、就職した同僚や同期の人とは違いました。」と、、胸をはる。
第三章 二十四歳の独立。
自由をデザインする。
二十四歳という若さで独立し、最初は自宅を事務所にして一人で仕事を始めた。学生時代から、指示されることへの違和感を感じていた、そして「それなら自分がトップになればいい」という発想にたどり着いた。ただ、それには、責任がついてくる。独立前から「一年で何を学ぶか」を考え、それをさらに一カ月単位まで落とし込み、必要なことは職場の社長に質問して吸収していった。友人たちが遊んでいる時間にも、自分の決めた道を優先、若さゆえの勢いだけではない。未来から逆算して今を組み立てた。それが、中原さんの原点、「自由で在りたい」と考える思考の原点である。
第四章 デザインの領域へ、
つくることから、考えることへ。
独立当初の仕事は、店舗の壁紙を張り替えるなど、どちらかといえば施工寄りの仕事だった。前職で身につけた現場経験を生かし、「どんな壁にしたら雰囲気が変わるか」といった相談に応えながら、少しずつ仕事の領域を広げていった。そして住宅や店舗のデザインを手がけるようになり、空間全体を考える仕事へ。様々な条件を整理し、一つの答えをつくっていく。自分の感性をそのまま表現するアーティストとは違い、デザイナーは相手の声を聞くところから始まる。中原さんにとってデザインとは、表現であると同時に「問題を解決する為の行為が設計」なのだ。
第五章 デザイナー経営者へ、
皆の正解へ。
仕事が増え、少しずつ人を迎えるようになった。そして法人化。現在は福岡と東京を拠点に、十数人のチームを率いている。以前なら自分で考え、自分でデザインし、自分で現場まで動かしていた。しかし今は、スタッフそれぞれの得意分野を見ながら、仕事を組み合わせていく必要がある。「自分一人で考えられるデザインには限界があります」という言葉が印象的だった。トップの色だけで会社を染めるのではなく、一人ひとりの個性を生かしてチームとして答えを出す。そこには、経営者としてのクリエイティブがある。
第六章 立ち止まる勇気。
仕組みもデザインする。
人が増えると、それまでのやり方では仕事が回らなくなる。neroでも現在、個人の経験や感覚だけに頼るのではなく、情報を共有し、チームで案件を進める仕組みづくりに取り組んでいる。但し、会社にとって必要な仕組みが、スタッフにとって必ずしも便利とは限らない。作業が増えれば、現場から「遠回りになっているのでは」という声も出る。そこで大切になるのが、立ち止まって考えること。何のために導入するのかを説明し、現場の声を聞きながら調整し、人が気持ちよく働き、力を発揮できる環境そのものをデザインする仕事だ。
第七章 福岡から東京。
市場が変われば、表現も変わる。
福岡で仕事を続けながら、東京・神宮前にも拠点を構えた。その背景には、より大きな市場で仕事をしたいという明確な狙いがある。大手企業の本社や大規模なプロジェクトが集まる東京では、空間やインテリアにかけられる予算も、デザインのスケールも違う。福岡にいながら東京の仕事を待つのではなく、自分たちから市場の中へ入っていく。東京で採用したスタッフも、インテリア商社などで経験を積んだ人材だという。デザインだけでなく、プロジェクト全体を俯瞰して動かせる人材を迎えることで、会社自身の可能性も広げていく。
第八章 皆で街をつくる。
その先に、風景がある。
これから会社の規模を更に皆と共に大きくし、「今まで見たことのない景色を見てみたい」と話す中原さん。その言葉の先にあるのは、単純な会社の拡大だけではない。生まれ育った福岡と、その他の関わりを頂いた「街をもっと面白くしたい」という思いがある。「何ここ?」と思わず人が足を止めるような店や空間をつくる。そこに人の流れが生まれ、その街に新しい経済が生まれていく。空間をつくることは、街の風景をつくることでもある。街のつくり手。これまで培ってきた複数の顔が重なりながら、中原さんの視線は一つ先の未来へ向かっている。
>福岡オフィス:福岡市中央区大手門2-9-23納富ビル1F >東京オフィス:東京都渋谷区神宮前3-15-19神宮前マンション301
- Flower shop / bloom produce MISAKI
- Restaurant / GEORGES MARCEAU
- Hair Salon / ABBEY FUKUOKA
- BAR / UNIT
編集後記
作品ではなく、「物件」と呼ぶ理由。中原さんとの話の中で、印象に残った言葉がある。「我々はアーティストではなくデザイナーなので、作品とは呼ばず、必ず物件と呼ぶ様にしています。」この言葉には、neroのデザインに対する姿勢がよく表れている。アーティストが自らの感性を作品として表現するのに対して、デザイナーは誰かの依頼を受け、様々な条件や要望と向き合い、その場所に必要な答えをつくっていく。そこには、予算があり、用途があり、使う人がいて、施工があり、そして完成した後の時間がある。だから作品ではなく「物件」。少しドライに聞こえるその呼び方は、デザインに対する責任と誠実さがあるのだと思う。
自分の表現を押し通すのではなく、クライアントとともに答えを探し、現場を知るからこそ実現できるものをつくる。
中原さんがつくっているのは、人が使い、働き、暮らし、街の風景の一部、
そう物件だ。
中原優介という一人のインテリアデザイナー・クリエイターが、次にどんな景色を描いていくのか。その答えは、これからつくられていく。